第2世代の水俣病訴訟とは

2008年7月14日 (月)

原告団長の決意

水俣病被害者互助会会長 佐藤英樹

わたしたちは2007 10 月、新たな国賠訴訟を提訴しました。2004 年の関西訴訟で、国・熊本県の責任がはっきり認められ、従来の認定審査のあり方の誤りを指摘されたにもかかわらず、被害者を患者と認めず、責任をとろうとしない国・県・チッソに対し怒りを感じ、このままでは被害者は救われない、残された道は裁判で闘うしかないと思い、提訴にふみきりました。 

これまで、苦しかったことは、自分が被害者でありながら患者と認められず、体の不調、痛みをこらえながら、生きてきたこと、生活してきたことです。

行政に言いたいことはたくさんありますが、まずは、国・県が最高裁判決にしたがい、被害の実態を真摯に直視し、認定基準を見直し、一人残らず被害者を救済することを求めます。今後、行政は頭の中と心を洗い流し、純粋な心にもどり、人の痛みがわかる人間に生まれ変わらないと正しい考え方は絶対できないと思います。

訴訟では、被害者として認めさせることはもっとも大きな問題ですが、過去の行政責任の検証、認定制度の誤り、損害論の再構築などもぜひ取り組んでいきたい課題として考えています。とくにわたしたち原告は胎児期、小児期にメチル水銀暴露を受けた世代で、その病像についても未解明な点が多いのです。その点も、この訴訟の中で明らかにしていけたらと考えています。

長く厳しい闘いになると思いますが、わたしたちは、勝利する日まで闘います。みなさまのご支援、ご協力を何卒よろしくお願いいたします。

第2世代の水俣病訴訟とは

20071011日、水俣病被害者互助会の9人、50歳代の原告がチッソ、国・県を被告に熊本地裁に訴訟を提起しました。原告でもっとも早く生まれた人が昭和23年生まれ、遅い人が35年生まれの、いわゆる胎児性、小児性患者と同世代の方たちです。

原告団長は、佐藤英樹さん(53歳)水俣市袋茂道生まれ育ちの人で、父親は川本輝夫さんと一緒に未認定患者の掘り起こし、自主交渉のリーダであった佐藤武春さんです。

現在名乗りを上げている被害者たちにはかなり冷たい目が向けられております。「今頃になって何を言い出すのか」「まだごねるつもりか」などという声が聞こえます。加害者チッソが「いつまでカネを払えばいいのか」などと言い出すのも、このような世間の風を背に受けてのことに違いありますまい。

しかしながら原告の話を聞いていますと、これはやはり私どもの知る加齢現象とはやはり違う、なにか私どもとは違った身体の異常だと思わざるを得ない点が多々あります。いつケガや事故を起こすかわからないという、不安や危険と隣り合わせの生活を送っています。この症状も加齢につれて私どもよりも、悪化がはるかに速いように感じます。

このような人たちが今、認定申請に名乗りを上げているわけです。その数は約八千人と言われております。この訴訟の原告は九名に過ぎませんが、この九名の背後には八千人の人たちが存在するということです。

なぜいま立ったか

  原告でもっとも早く生まれた人が昭和23年生まれ、遅い人が35年生まれです。

みな胎児期、あるいは小児期に有機水銀にさらされています。言いかえれば、水銀汚染のただ中に生まれ出てきたのです。

しかし、ある日突然歩けなくなる、しゃべれなくなる、そういう劇症型の症状はありませんでした。

その後、成長するにつれて次第にからだが悪くなり、いろんな障害に苦しめられています。あらためてまわりを見ると、自分の体は同世代の健常者とは違う、それがはっきりしてきたのです。何度か申請して棄却された人もあり、今度初めて申請中という人もいます。

原告被害者たちは、自分の将来に対する不安、体がどうなっていくのか、生活がどうなるのか、そういう不安はもちろんあります。しかしいくら訴えても認定はされません。

国のつく嘘

ところが、最高裁判決以降、国が固執する認定基準は、往時の清浦博士のアミン説や日化協(日本化学工業協会)の爆薬説に匹敵する、まやかしのでっち上げであること、しかも、国・熊本県の役人たちは、最高裁による行政責任断罪をはっきり無視、かつての見舞金契約をなぞるつもりしかないこと、それらがはっきりしてきました。

 

原告とこの訴訟を応援すべしとするものは、いま、このまま行政をお咎めなしで済ませては、それでは「水俣病の教訓」など何もないではないか、という思いが強いのです。おまけに最近チッソまでが「いつまで金を払えばいいのか」、居直りはじめています。まるでフィルムの逆回転、時代が一次訴訟以前に逆戻りした観があります。